戦国時代中期に活躍した武田氏の拠点、それが甲府城です。現在天守閣は現存していませんが、石垣が甲府市内の中心部に残されています。武田氏は下克上が当たり前の戦国時代にあって数少ない歴代守護出身の戦国大名です。武田信虎が甲斐の国、つまり現在の山梨県を統一。しかし信虎は大変な独裁者で残酷で庶民からも家臣からも嫌われていました。その後、長男の晴信(信玄、以下信玄と記す)が21歳のときに父親を追放し、権力を握りました。甲斐は山国であったのでとなりの信濃(長野県)に着目した信玄は信濃攻略を目差しますが、実に20年の歳月を要しました。信濃攻略に苦労した理由はなんと言っても越後(新潟県)の上杉謙信によって阻まれ続けたからです。川中島の戦いはあまりにも有名ですね。川中島の戦いは5回に及びましたがそのうち4回はにらみ合いで終わり、4回目の戦いのみが大激戦となりました。信濃平定後、最強の騎馬軍団を率いる武田信玄の勢いは急速に拡大し始めました。その頃から織田信長や徳川家康と言った後世の天下人が台頭し始めますが、何と言ってもこの時期最強だったのは信玄です。有名な三方ヶ原の戦いで武田信玄は織田・徳川連合軍に圧勝しその名を全国にとどろかせました。その時点で間違いなく日本最強の戦国武将だった信玄ですが1573年に肺がんで死亡。信玄はその生涯において100回近い戦を戦いましたが、負けらしい負け戦は村上義清と戦った2回だけであると言われています。後を継いだ四男の勝頼も勇猛な武将でしたが信玄ほどの力はなく2年後の長篠の戦いで織田信長に惨敗。1582年に武田氏は滅亡しました。

 

 

甲府市駅前の平和通り。まさしく甲府市の中心部です。甲府市は山梨県の県庁所在地で人口は17万人です。

 

 

山梨県民であればおそらく知らない人はいないであろう武田信玄の銅像。1988年には大河ドラマにもなりましたね。14年も前のことですがまだまだ記憶に新しいです。

 

 

甲府城址の入り口。内側からの撮影。

 

 

石垣の上の石垣です。

 

 

 

 

 

現在天守閣はないとは言え、これだけ立派なトイレを作るということはいちおう観光名所として整備していると言うことでしょう。

 

 

甲府城址から撮影した甲府市の街並みです。

 

 

 

 

 

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